本能、倫理、法そして道徳

セックスワークは、ワークか否かを私なりに考えをまとめるブログです。

 

セックスワークはワークである、それが私の結論です。以下その理由を述べていきたいと思います。

1)タイトルの本能、倫理、法そして道徳の私の考え方です。

本能-人間には三大本能があります。

食欲・睡眠欲・性欲

人間が生きていく上で必要不可欠なものです。

食欲と睡眠欲は自然と受け入れられている一方で、性欲だけが隠さなければならないもののように扱われているのが私にとって不思議なのです。

食欲も睡眠欲にも医療的な医師等からの指導・診断等はあります。普通の生活をしている限り食欲や睡眠欲が法律上の問題となることはありません。食事に恋人や友人や知人を誘って一緒に食べても何ら問題ありません。睡眠も、休憩時間や電車の中などで眠っても法律上問題となることはまずありません。さて、セックスはどうでしょう。食事や睡眠と同じような行動をしたときには、法律上(刑法上)の問題となります。なぜでしょう?人間にとって必要不可欠な三大本能の一つの性欲だけが、刑法上の問題となりうるのか。

食事をする時には、主に口からの食べ物の摂取になりますが、食べている様子や口の写真などを公開しても法律上の問題にはなりません。睡眠も食事の時の様子等と同じように法律上の問題とはなりません。(行儀の悪さや食べているものが問題となりうることはあります)。

セックスはどうでしょう。食事や睡眠と同じように考えて行動した場合には刑法上問題となりうる可能性が極めて高いですね。セックスだけを隠す、公にするものではない、公教育や家庭で幼少期からセックスのことを年齢に相応しい方法で正確な知識さえ教えることはタブー視されているように思います。他方海外に視点を向けると、幼少期から教育としてセックスを教えている国々が多いですね。自分の体を守るため同時に相手の体を思いやり守るために教えているようですね。

日本は、海外と比較した場合には逆進性の行為(性教育)をしているように思います。そのようなセックスに閉鎖的な文化だからこそセックスワークは、ワークではないとかある一定の条件を満たしている場合には無差別平等に権利を与えられるものが、偏見や偏向した思想により法律上の権利を満たしているにもかかわらず、無差別平等権から外されたりしていると思います。その理由は『国民の理解は得られない』この理由他でも使われています。日本学術会議の任命拒否理由で、税金が使われているので…『国民の理解は得られない』からという理由も報道等されているように思います。

 

共通点は何かですが、『日本会議』の思想に合致しないからだと考えます。政府与党を動かしている思想背景は、『日本会議』だと私は考えます。このままで物事が『日本会議の思想』で決まってくる日本社会になっていくならば、やがて戦中、戦前の道徳の『教育勅語』の復活もあり得ない話ではないと私はそのような印象を持ちます。したがって、現政府与党には、憲法上保障されている国民の権利や法の支配や法の適正手続などは全く関心がないと言えると思います。

 

この言葉の引用で終わります。

オディール校長先生“決してむずかしい問題に正面からぶつかっていってはならない。後ろからしのびよるのです、必ず後ろからー自分の考えていることを口に出すのはよしなさい。そして、自分の好きなようにするのだ。“

 

補足します)日本会議とはどのような存在か。gendai ismedia > https://gendai.ismedia.jp/articles/-/44029?imp=0

 

日本会議とはどのような存在か。後編→gendai ismedia> http://gendai.ismedia.jp/articles/-/44128